ここのところ、昨日何を食べたのか?が思い出せなかったりします。
他にも、冷蔵庫に飲み物を取りに来たのに、冷蔵庫を開けたとたんに「あれ、何しに来たんだっけ?」とか…。
こ、これはヤバいのでは?
と思ったので、記憶や物忘れについて少し調べてみました。
そこで、今回の記事では人間の記憶や忘れることについての考察をシェアしていきます。
忘れ物あるある
このような忘れ物ってないでしょうか?
・車で出かけるときに、駐車場まで行って車のカギを開けようとしたら、カギを忘れてきた
・車を運転しているときに、スマホを家に忘れてきたことに気づいた
こういったことが連続で起きると、「最近、物忘れが激しい」と思ってしまうかも知れません。
でも、こういった状況は、本当に物忘れが激しいのでしょうか?
そもそも「忘れる」とは?
よく「物忘れ」とか「忘れ物」という表現をしますが、そもそも「忘れる」というのは、脳が脳自体を守るための重要な機能の一つなのだそうです。
短期記憶と長期記憶
人間の記憶には、短期記憶と長期記憶という大きく二つの記憶があって、これらは文字通り、短期的な記憶と長期的な記憶を脳に格納しておくものです。
短期記憶は「今日の予定」とか、「ハンバーグを作るために挽肉を買ってこなくちゃ」というような比較的直近のタスクや一時的なもの。
長期記憶は何度も繰り返されたり、印象的な体験などによって脳に深く刻まれたことや強い感情と結びついた記憶。
例えば、車の運転や料理などのような、何度も繰り返して身に付いた技能だったり、「あぁ~、あのとき、こんなことがあって、こんな気持ちだったな」といったような過去の体験とそのときの感情であったり。
このように人間には大きく分けて二つの記憶があるんだそうです。
昔のことをよく覚えている例
私の祖母がそうだったのですが、「昨日何を食べたか?」は忘れるのに、数十年前の学校のクラスメイトのことや住んでいた町の様子や環境などについては、まるで今、この瞬間に映像でも見ながら説明しているかのように具体的で詳細なことまで覚えていたりするんですよね。
私も「昨日何を食べたか?」を忘れることなんて日常茶飯事ですし、他にもいろいろと忘れ物をするので、よく耳にする「最近、物忘れが激しい」とか「歳をとると忘れっぽくなる」ということについては疑問を感じていて、脳にとって重要な情報かそうでないかで、忘れるか否かを選別しているのではと思っています。
「昨日何を食べたか?」がそれほど重要な情報ではないと脳が判断したから忘れるのであって、これが重要な情報であったり、印象的な情報であれば、たぶん記憶されるはずです。
例えば、「昨日の食事」であれば、それが久しぶりに会う友人との食事で、レストランに予約を取って行ったものであれば、たぶん記憶に残るはずです。
あるいは、日常の食事であっても、いつもと違う献立だったら思い出せるのではないでしょうか?
このように、脳がその情報の重要度で記憶を選別しているだけなので、あまり「忘れる」ということに対してネガティブなイメージを持たない方がいいですよね。
忘れることへのネガティブなラベリング
「忘れる」というと、なんだかネガティブな印象を抱くことってありませんか?
忘れるということは悪いことであって、何かを忘れると罪悪感を覚えるようにバイアスがかかっているように感じるんですよね。
これは自分だけではなく、周囲の人を見ていても、そういった印象があります。
こういう認知の歪みやバイアスって(今はどうなのか分かりませんが)、学校などで忘れ物をしたときに、みんなの前で怒られたり、教室の後ろや廊下に立たされたりして、吊るし上げ・さらし者・見せしめなどをされることによって、知らず知らずのうちに植え付けられてしまう感じがします。
仕事でも、わざわざ人前で見せしめのように怒鳴り散らす上司とかっていませんか?
忘れ物をする生徒がいたら、先生はその生徒をみんなの前で吊るし上げたり、さらし者にするのではなくて、「じゃあ、どうしたら次から忘れ物を減らせるか?」「どうしたら忘れ物をなくしていけるか?」といった改善案や予防策を生徒と一緒に考えたらいいのになと思います。
生徒のミスをなじったり非難するよりも、学習教材にして授業にするような先生が教えてくれたら、ミスをしたり、忘れたりすることに対してネガティブなバイアスを持たなくて済むのではないかと思います。
テーマにもよると思いますが、特に忘れ物などは、一人だけではなく、他の人にも起きうることなので、みんなで予防や改善する知恵を共有すれば、そのクラスやチームの達成率は上がりますよね。
こういうことって、当事者である子どもにとっては心理的に大きなダメージだったりするんですよね。
まだ小さい成長段階の時点で認知がネガティブに歪んでしまうと、後で修正するのが非常に難しくなります。
なので、ミスに対して一方的に罰を与えるよりも、なぜそうなるのか?という仕組みであったり、次からどうしたらいいか?という対処法や改善案なども説明してくれる先生が増えたらいいですよね。
脳が脳自体を守るための仕組み
「忘れる」というのは代謝に似てるなと思います。
栄養素に消化、吸収、排泄があるのと同じように、記憶にも情報の入力、保存、忘却というプロセスがありますよね。
長期記憶はかなり大量の容量がありますが、短期記憶は一時的な記憶の保持が役割なので容量が限られています。
何かを覚えていたり、頭を使って考えたりするのって、非常に疲れるんですよね。
何でもかんでも覚えておかないといけないとなると、ものすごく脳に負担がかかります。
そこで、「忘れる」という機能があることによって、脳は健康な状態を維持できるんだと思います。
何でもそうかも知れませんが、乗り物やエレベーター、建物の部屋なども、先に入っていた人が出ていかないと次の人が使えませんよね。
それと同じで、「忘れてもいいこと」「重要度の低いこと」「もう必要ではなくなった情報」などは、脳が自動的に忘れていきます。
そう考えると、「忘れる」ということは、とても自然なことで「覚える」と対になっていて、脳にとって必要なことだと言えます。
重要なことまで忘れてしまうのは?
以上のことを踏まえた上で、「重要なことまで忘れてしまう」というのは、一体どういうことなのでしょうか??
もちろん、脳に何らかの障害などがあって、記憶の機能に不具合があるといった場合は別として、脳に異常がなくて心身ともに健康だけど、重要なことを忘れてしまう…。
これは、日常的に意識することが多すぎるのかなと思います。
あるいは、重要なものとそうでないものが明確に区別できていなかったり、優先順位が明確でなかったり。
こういった要因が重なって、頭の中で「重要なこと」が埋もれてしまっているのではないでしょうか。
これは部屋でも同じですが、散らかっていると重要なものが埋もれてしまっていたりして、すぐに取り出せないことがあります。
部屋という物理的な空間の使い方と、脳という内側の世界の使い方が共通しているのが興味深いところです。
重要なことも忘れてしまう場合は、「重要ではないこと」に多くの意識を奪われているのかも知れません。
物忘れは脳の仕組みとキャパオーバー?忘れることのメリットと対処法:まとめ
自分自身の見直しや点検をしてみる
物忘れをしてしまう場合は、「自分は忘れっぽいんだ」とか「記憶力が悪い」と嘆いたり自分を責めたりするのではなく、
・自分はいつも何を意識しているか?
・意識していることは多すぎないか?
・持ち物が多すぎないか?
・自分にとって本当に重要なことは何だろう?
…ということを見直してみるのも良い方法です。
脳に負担をかけ過ぎるのではなくて、少し余白やバッファーがあるくらいが脳が健康に機能するにはちょうど良いようです。
特に現代って、歴史上、最もモノや情報に溢れている時代で、ただでさえ脳に負荷がかかりやすい時代です。
無防備で生きていたら、モノや情報に飲み込まれてしまいますよね。
なので、ときどき自分自身で意識や持ち物の点検やケアをする工夫や習慣を取り入れるといいのかも知れません。
ツールを頼る
そして、そうは言っても、現代には人間を助けてくれたり、脳の負担を減らしてくれるアイテムもたくさんあるので、これらを活用しない手はないですよね!
今はメモやリマインダーアプリなどが充実していますし、調べものや学習をするにしても、かなり高性能なAIがあるので、日々の負担を減らしたり、仕事や生活に役立つものは、うまく取り入れていきたいですね。